以前紹介した佐賀県の三重津海軍所跡と同じく、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一つ三池炭鉱の三池炭鉱宮原抗を紹介します。
世界文化遺産
まず、世界遺産は3つの種類に分けることができ、自然遺産、文化遺産、複合遺産があります。
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は、シリアル・ノミネーションという手法を採用しており、岩手県から鹿児島県までの8県11市に点在する23の構成資産を一つのグループとし、世界遺産の価値を共有している「シリアル・プロパティ(関連性のある遺跡群)」です。※グループをつくっている一つ一つの遺産の事を「構成資産」と呼びます。
2015年に世界遺産として登録され、日本では19番目の世界遺産となりました。
西洋に追いつけ追い越せと、幕末から明治期における飛躍的な日本の近代化をコンセプトととしており、その取り組みの過程が分かる遺産が選ばれております。
三池炭鉱宮原抗の場所は
場所はこちらです。
福岡県大牟田市宮原町1丁目86-3
すぐ横は住宅街となっています。近くに駐車場も完備されており、駐車料金は無料です。
大牟田駅から
バスの方は、早鐘眼鏡橋バス停で下車し徒歩約10分です。※15番系統「有明高専前行」、21番系統「新勝立町四丁目行」、25番系統「庄内・南関行」を利用
レンタサイクルの方は、大牟田駅前の大牟田観光プラザにて1日500円/台で貸し出しを行っております。約20分程で宮原抗まで行けます。
入場料は無料で、9時30分から17時まで見学ができます。※最終入場は16時30分
また、入場口にボランティアの方がいらっしゃるので、お願いをすると説明付きで案内をしてくれます。時間がない方は、一人で見て回る事も可能です。
三池炭鉱宮原抗
三池炭鉱は、明治6年(1873年)に官営となり、大浦抗・七浦抗・宮浦抗・勝立抗等を主力抗として施設の近代化が進められました。
明治22年には三井組に払い下げられ、團琢磨を指導者として経営の拡大が図られます。明治後期に宮原抗、万田坑、大正期には四山抗が開抗され、日本最大の炭鉱に発展をしました。
宮原抗は、明治31年(1898年)に第一立抗が、明治34年(1901年)に第二立抗が完成しました。
第一立抗は揚炭・入気・排水が主であり、第二立抗は人員昇降を主とし、排気・排水・揚炭を兼ねました。三池炭鉱の最大の課題は排水でありましたが、両立抗とも当時世界最大のデビーポンプ2台を備え、排水難を解消、深部採炭への展開を可能としました。
以後、宮原抗は主力抗となり、明治・大正期を通じて年間40~50トンの出炭を維持しました。当時宮原抗は、三池集治監に収監されていた囚人が採炭に従事しており、彼らから「修羅抗」として恐れられていたそうです。しかし、昭和6年(1931年)5月1日に閉抗しました。
修羅抗と恐れられていたとありますが、たまに福岡の事を修羅の国という人もいますよね。。。
世界遺産になるくらいですから、明治期の日本の発展に多大なる影響を与えていたようです。
現在は第一立抗はすでに消滅していますが、第二立抗は鋼鉄製櫓、捲上機室などが保存され、その周囲約14600㎡が史跡となっています。
当時の面影を残したまま保存されており、歴史を感じる事が出来ます。
入口の反対側から撮った写真です。
駐車場側から宮原抗入口に向かう途中の橋の上から。下には線路跡もあり、ここにも降りる事が出来ます。
1時間もあれば十分に満喫できると思いますが、夕焼けの時間帯等に行くとまた違った雰囲気を楽しめそうですね。
佐賀の三重津海軍跡からも、有明沿岸道路(無料)を利用すれば1時間位で行けると思いますので、是非立ち寄ってみて下さい。博多に宿泊しているのならば、柳川等とセットにして回るのもいいかもしれません。
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